<私=ガワについて>

私の本名 = 賀川 満

ネット上でのニックネーム = ガワ

 かがわのガワですが、「ガワ」というのはこの辺(鹿角)じゃ中身に対する「外身」の事です。
 国語辞典には載っていませんからたぶん方言だと思っていました。ところが私の購読するコンピュータ雑誌にコンピュータの本体ケースを「ガワ」という人がいて、もしかしたら標準語なのでしょうかと最近疑っています。 

いずれ、人間、ガワではなく中身が大事ということ。

 下村湖人の「論語物語」に「瑚れん」という話があります。
 瑚れんというのは宝物を入れる器のことだったと思います。孔子は一番弟子ともいうべき子貢が、弟弟子と張り合って、孔子に自分自身を立派な瑚れんだと言わせようと企てたのに乗って「お前は立派な瑚れんだ」と言った後、しかし、と続けます。「どんなに立派な瑚れんでも器は器。」

 以下じつに人間味溢れるこの弟子に対して、こう言います。

「何よりも自分を忘れる工夫をすることじゃ。自分のことばかりこだわっていては君子にはなれない。君子は徳をもってすべての人の才能を生かしていくが、それは自分を忘れることができるからじゃ。才人は自分の才能を誇る。そしてその才能だけで生きようとする。むろんそれでひとかど世の中のお役には立つ。しかし、自分を役立てるだけで人を役立てることができないから、それはあたかも器のようなものじゃ。」

中略

「四十、五十になっても、徳をもって世に聞こえないようでは、もうその人の将来は知れたものじゃ。」そういった孔子の声はふるえていた。子貢は喪心したように、ふらふらと立ち上がった。そして顔に手をあてたかと思うと、息ずすりして泣いた。孔子もその時は目に一ぱい涙をためていた。

詳しくは本を読んで下さい。

1996年夏祭りにおけるガワ
8月20日花輪ばやし屋台前にて撮影

花輪ばやし(本ばやし)を聞いてください。

1952年、北海道生まれ

 私は北海道、帯広の近くの炭鉱町で生まれたのだそうです。三歳の時、父の実家の鹿角郡花輪町(現鹿角市花輪)に帰ってきたので、生地の記憶は全くありませんが、現に生まれたその土地も、炭鉱産業の衰退と共に人が離れ、今はただの野原だと聞きました。

1965年、花輪町立(現鹿角市立)花輪小学校卒業