慶長2年(1597年)から12年にかけて毛馬内東側の大地に柏崎館が築城され、城下町として発展しました。多くの集落が曲がりくねった道に沿って作られていましたが、東西南北に方形に通りが作られ、職種によって居住地が割り当てられる等、計画的な街並みが創られました。それが現在でも残されています。
城下町として発展した毛馬内ですが、その街並みの特色として「こもせ」が上げられます。「こもせ」とは現在でいうアーケードで、積雪によって通行や商売が妨げられないように作られた雪国独特の建築様式です。この他にも城下の武家屋敷としての風情のある建物が多く残されており、当時の繁栄を色濃く伝えています。
さらに、家並みがノコギリの刀のように並ぶ武者隠し(むしゃかくし)という様式が残っています。南部藩の要塞屋敷としての機能が商人街にも取り入れられています。