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マラガに着いて、鉄道駅の周辺の宿を回ってみたのだがどこも満杯で、ウ−ムさすがにマラガともなると観光客の量も違うのだろうか、などと感心しながら荷物を降ろして、バンダナで顔の汗を拭いていると、東洋系の顔をした旅行者を一人連れたオッサンが声を掛けてきて、「宿を探してるのか?一緒に来な」と顎をしゃくってサッサと歩いて行くので、僕は「チョット待てよ。1泊いくらなんだ?」と聞くと、「2000pts」だと言うので、「高過ぎる」と言うと、オッサンは「1000ptsでどうだ」といきなり半額になったので、こいつ危ないオッサンだなとは思ったのだが、まぁ宿を見てからどうするか決めようと思い、付いて行ったのだ。5分程歩いて着いたのが、1階がBarで2階が宿になっているところであり、建物も大分くたびれていて、チョットどうするか迷うところがあったのだが、客引きのオッサンがBarの主人と何やらもめている。「こっちの人が1500ptsであっちの人が1000ptsだ。どうだ?」「オイオイ勝手に値段決めて連れて来るなよ、ウチはシングルが無いんだから。2人は別々なんだろ?」「ナ−ニ同じ部屋に泊まってもらえばイイじゃないか」「しかし違う料金じゃマズイだろ」そこで客引きのオッサンが僕に聞く、「アンタ何泊したいの?」まだ部屋も見てないのだけど5泊と答える。「ほら、こっちの人は1泊だけであっちの人は5泊だから、別料金でもイイじゃないか」「しかしツインの部屋を1000ptsじゃ貸せないよ」「ここは1泊いくらなんだっけ?」「オイオイ、ウチの料金を忘れて客連れてくるなよ、まったく。1200ptsだよ1200!」なんてことを話してるのだろうと勝手に想像したのだけど、恐らくその通りだと思う。何が何だか分からんといった風情で立ち尽くしている東洋系の人と目が合ったので、もしや日本の人かなと思い、日本語で、「コンチハ、日本からですか?」と聞くと、「Do you speak English?」と聞かれたので、アリャ違ったかと思いつつ「Yes」と答えると、「何処から来たの?」と聞くので「日本」と答え、「あなたは?」と聞くと「カナダからだ」と言ってる内に、客引きのオッサンとBarの主人の商談がやっとこさ成立したようで、2階へ上がれと言われ部屋を見る。そして客引きのオッサンに、「アンタ1日だけこの人と一緒に同じ部屋に泊まりな。明日からは一人でこの部屋使っていいから。だけど1泊1200ptsだ。どうだ?」と言われた。そうくると思ってたよ。しかしカナダからの人は、何が起きてるのか良く分からんといった顔付きで僕等を見てるので、「同じ部屋に泊まれと言ってるけど、どうですか?」と僕が聞くと、「1日だけだから構わないよ」と言うので、じゃそれでいこうということになり、客引きのオッサンは僕等からチップを受け取ってニコニコしながら去って行った。しかし部屋の鍵が1個しかなく、カナダからの人は今から海岸へ行くというので、一緒に出ることにし、鍵はBarの主人に預けて行くことにした。そして海岸へ行くと言っても、何処にあるか分からない彼の為に、Barの客の1人に海岸の方向を聞いてあげ、街の反対側だということなので、途中まで一緒に歩きながら話をした。「スペイン語は何処で習ったの?」と聞くので、「旅行しながら覚えたんですよ」と答え、「さっき教えてもらった海岸は確かに近いけど、港の中だからそんなに綺麗じゃないと思うよ」と僕は言い、通り掛かったBarのカウンタ−の兄チャンにもう一度聞いてみた。すると何とかと云うPlaya(海岸)が綺麗だからバスに乗っていけと言われた。今の彼の説明は完璧に理解したわけじゃないけどと言い訳しながら、教えてもらったバス停まで行き、ちょうどバスが止まっていたので、運チャンに料金を聞いて彼に伝え、一つ聞いてみた。「僕はこれから街を歩くけど、あなたは自分で戻ってこれるか?」すると彼は、とんでもないという顔付きになって「NO」と言うので、「じゃ一緒に海岸まで行こうか」と言うと、「イヤ、イイヨやっぱり先に教えてもらった海岸へ行くよ。歩いて行ける所の方がイイヤ」と言い、僕らはそこで別れた。しかし、僕もブラブラしてる内に港の外側の海岸に出てしまい、彼は無事ここに着いて持って来たゴザに寝てるだろうか、なんてことを少し心配しながら、浜の端の方に座ってTシャツを脱ぎ暫く日光浴をした。しかし、ここもあの有名なコスタ・デル・ソルのはずだけど、そんなに綺麗ではないのだ。砂浜も遊園地にある砂場のような砂であり、確かに人は多く、皆楽しそうに泳いだり寝っ転がったりしてるのだけど、海水はとても冷たく、風も強く、この海岸を満喫するためには少し根性が必要だなと思ったりした。しかし日本のS海岸から見れば当然別天地なわけだけど、あれを規準に考えること自体間違いなわけで、それでも夏ともなると、何十万人という日本人があの海岸に殺到してしまうのだから、Sの海を満喫するためには、尋常でない根性の他に、異常なほどの執念が必要とされるわけであり、僕はSの夏の海には全く魅力を感じないので、根性も執念もまるで必要としないのはとても有り難いことだ。しかしあの何十万という人達は、さらにあの海岸の汚染を悪化させる為だけに集まって来てるとも言えなくはないだろうか。霞んだ空から届く太陽の光を、これでもかという程塗りたくったサンオイルで受け止め、霞んではいても実際の太陽の光は強いので、足の踏み場も無い程人が詰まった海へ入り、サンオイルを流し、浜へ上がっては又塗り直し、寝る程のスペ−スも無いので膝を抱いて座り、再び海の見えない海に入る。日本の夏の海岸は、この甘ったるいココナッツの様なサンオイルの香りで充満し、あの香りで酔ってしまう人も居るのではないかと、心配になってしまう程強烈なものがあるのだが、匂いはともかくも、あのサンオイル関係を塗った人達は海に入れないという様な規則でも作らない限り、あの辺の海の環境は良くならないのではなかろうか。もっとも、環境問題が切迫した事態となっている昨今であるから、とっくにメ−カ−側も地球に優しい製品を売り出していて、彼らが使っているものも心配のいらないものであるかも知れない。だが、海を汚染しているのは工場や家庭の廃水だけではないのだと、あの夏のS海岸の俯瞰の絵がニュ−スで流れる度に思ってしまう。 さて夕食をチノレストランテ(チャイニ−ズレストラン)で済ませて部屋へ戻ると、同室の彼もすでに帰って来ており、しかしこれから又出掛けるという彼は、入り口は何時に閉まるのだろうかと心配していて、僕は「下はBarなのだから遅くまで開いてると思うよ」と言い、彼は少し安心して出掛けて行ったのだった。次の日2人とも昼近くまで寝て、彼はポルトガルのリスボンへ行くのに、列車だと一度マドリッドへ戻ってそれからリスボンへと、かなり遠回りになることに少し憤慨しつつ出発し、僕は再びマラガの街を歩いた。そして月曜日、1ヶ月前にマヨルカからハガキで東京の友達に、Filmを送ってくれるように頼んでおいたので、届いていることを祈って郵便局へ行ったのだったが、着いておらず、次の日、Filmを頼んだ友達の電話番号を持って来るのを忘れていたので、別の友達に電話し、しかしその友達も忙しい人間で、なかなか家に居ることが無いのだが、留守番電話を付けているので確認してくれるようにメッセ−ジを吹き込み、さらに3日後に電話を入れると、僕の電話を待っていてくれたらしく、その友達は家に居て、僕のハガキが東京に届くまで3週間掛かっていて、Filmを送ってからまだ1週間しか立っていないけど、確かに送ったということだった。僕がハガキを出したのは島からだったから、少し日数が掛かったのだろう。日本からも順調に届いたとしても、2週間は掛かるだろうと思ったので、その間マラガの近郊の街を回ることにした。東京の友達に電話を入れたのは、コスタ・デル・ソルのフエンヒロ−ラという街からで、マラガから電車で1時間位の所であり、次の日も電車でトレモリノスというコスタ・デル・ソルの中心とも言える海岸へ行ったのだが、どうも今一つ感動出来ないビ−チであり、何故ここがそんなにも有名になってしまったのだろうと疑問に感じざるを得ない、さほど美しくもない海岸で、イヤ、確かに日本の何とか海岸から見れば絶対に綺麗なのだけど、前も言った通りあれを規準に考えたら全てが良く見えてしまうのだから、海岸だけでなく物価も東京と比べて考えて全て安く感じてしまうのは、これは完全にものの見方を誤ってると言わざるを得ないのだ。他の国には酷かも知れないが、僕はオ−ストラリアを規準に考える見方をしており、ビ−チもゴ−ルドコ−ストが基本だと思っているのだが、これは逆に規準が高すぎて見方を誤りそうだけれども、せめてシドニ−近郊にあるボンダイビ−チ位はあって欲しいものだと思うのだ。街の中心から地下鉄とバスで30分もあれば着いてしまうその海岸は、浜も海も大変綺麗で、しかし土地の人達は、家庭の廃水が流れ込んでいて汚れてしまったと言って泳がず、泳いでいるのは外から来た人ばかりなのだ。しかしビ−ルの消費量の相当に多いオ−ストラリアでさえ、割れた瓶などビ−チには全く無く、犬の糞もまたしかりだが、スペインのビ−チの遊歩道などは、割れた瓶のカケラばかりで、歩くとパキパキいって、オ−ストラリアの鳴き砂とは大きな違いがあるものだ。宿もオ−ストラリアでは、シャワ−もキッチンも使い放題で1泊1000円(1989年)なのだから、スペインの宿で泊まるだけで2000円も取ろうとするのは、オイコラチョット待てよという気分になるし、シャワ−も別料金で取ろうとするところもあるので、ほとんど呆れてしまう。となると、日本に対しては怒り狂ってしまうということは簡単に理解出来ると思う。さて、そのコスタ・デル・ソルだが、陽が傾いて皆帰り始め、人の居なくなった海岸にワラブキのビ−チパラソルが並んでいるという風景に少しときめいて、やっと写真が撮れたといったところで、次の日マラガを離れて、前に通ったことのあるモトリルという街へバスで行ったのだった。しかし(今回は特にこのしかしが多い)本来の予定では、マラガから飛行機に乗ってカナリア諸島へ渡ろうと思っていたわけであり、順調に飛行機が捕まれば、ほとんどFilmの無い状態で島に渡り、高いFilmを現地で買うか、あるいはマラガで買わざるを得ない窮地に立たされたわけであり、マラガに滞在中に旅行会社へ行って聞いてみると、6月一杯は飛行機が満席で取れないという話なので、リゾ−ト地であるだけに宿の方も心配になった僕は、ツア−にはまっていった方が無難かなと思い、7月中旬に、マラガではなくセビ−ジャから飛ぶ、テネリフェ7日間というツア−の予約をしたのだった。それも最初は、テネリフェとランサロテという2つの島で2週間という奴にしたかったのだが、6月中ならまだ少し安いのだけど、7月に入ってからであるし、1番安いホテルも部屋が無くて、これまた少し高いホテルにしかもツインの部屋に1人であるのでエキストラ料金が付いて、なんだかんだと高くなってしまって、1つの島7日間が予算的にも無難かなと思わざるを得なかったのだ。さて、そんなこんなでテネリフェまでのチケットを手に入れ、7/15にはセビ−ジャから飛行機に乗るわけだから、少なくとも2〜3日前にはセビ−ジャに着く必要があり、Filmも後1週間は掛かるだろうから、7月頭にマラガに戻り、さらにスペイン滞在3ヶ月が迫っていて、モロッコに渡る日程も考えねばならず、なかなかル−ト作りも難しくなりそうだなと思いつつ、モトリルに着いたのだった。 バスタ−ミナルの入り口から通りを見渡すと、少し上ったところにオスタルの看板が出てるのが見えるので、ヨッシャと思い、タ−ミナル内のBarへ戻ってBeerを飲んだ。ここもBeerとセットのタパでエビが小さな皿に山盛りで出され、ウグウグと食べ、荷物を担いでオスタルへ行くと、綺麗な部屋で1泊1000pts。イヤァず−とここに居ようかしらなんて思ったりしたけど、そんなことしてたら大変だ。とにかくマラガで溜まった服の洗濯に取り掛かったのだった。 MAPへ HOMEへ |
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