その後、大曲花火大会時に、左の写真のように河川敷特設キャンプ場で、大勢の方々とテントを張り、久々に楽しい思い出を作りました。
この頃は、同級生を巻き込んでの小川原湖でのしじみ取りツアーキャンプを企画し、3年目を迎えました。今後も体が動く内はアクテイブに企画する所存です。なお、キャンプ以外には同じく同級生を募っての、夜明島渓谷での竹の子取りツアーを企画、これも5年目を迎えました。午前中は各自の意欲で取りまくり、午後は機械を使用して皮を剥き、待ち時間にはビールを・・という楽しい企画に人数が増えすぎて、新たにもう一台皮むき機を準備してしまいました。
特に思い出に残るキャンプは、親戚と一緒の筑波万博時「筑波キャンプ村」に宿泊したことでした。あのキノコ型のバンガローは、つくば市そばの牛久の「豊里ゆかりの森キャンプ場」において第二の人生を送っているとのことを、このサイトを見た親切な方から教えていただきました。この写真に写っている私の子どもも成人してしまい、なかなか親子でも一緒に過ごすことが出来ませんが、
そして平成7年には思い切って、左の写真のようなハイエースベースのキャンピングカーを購入、春の山菜取り・夏の旅行・秋のキノコ取り・冬のカンクロ釣り(実はホッケ狙い)に大いに活用しております。さすがは専門家の作ったキャンピングカー、動くサルーンという感じで、真冬でも備え付けのFFヒーターで一夜を過ごすことが出来ますし、トイレシャワー室に当たるユニットバスルームがあるので、よほどのことがない限り外に出る必要が全くありません。でも、キャンプの原点から次第に離れてきている自分に、一抹の寂しさを感じております。やはりアウトドアーの原点は、地べたにテントを張り、そこで就眠するとですからね。
しかし、地べたに寝るだけ楽しかった若き良き年代も、あっという間に過ぎ去り、次第に地面に寝るのに抵抗を感ずるようになってきました。その頃から乗用車移動による地上キャンプをやめ、左の写真のような、ワゴン車と車上(ルーフ)テントの組み合わせでの車泊を中心にして動くように変わってきました。年だから仕方ないですね・・・・・。
家庭を持ってからの家族キャンプは、年数回にも及び、青森県迷ヶ岱、能代岩館海岸、宮古崎山中の浜キャンプ場、青森夏泊キャンプ場、青森種差キャンプ場を訪れたました。圧巻は新潟→佐渡島→能登半島→富山→福島→宮城→岩手と2週間近くにわたってテントを張りながら移動したことです。このように私の人生を家族キャンプの形で大いに楽しませてくれた写真の息子・娘は共に所帯持ちになり、今は老夫婦二人暮らしになってしまいました。時の流れるのは早いものですね。
学生時代は、若さこそあるものの、金は常にないというのが悲しい現実で、苦労して買ったリュック以外は、全て借り物でまかなうしかなく、登山の度に、人に頭を下げてシュラフ・テント・ラジュース・コッヘル等を借用、交通費は生活費を切りつめて工面したものです。
楽しく、そして、ひもじい学生時代も、やがて終わりを告げ、私も社会人になり給料をもらう身分になり、最初に購入したのは、学生時代に一番欲しかったテントと寝袋でした。それから、こつこつとグッツを買い集めてウン十年が経過、現在に至りました。その間に、世の中の動きも大きく変わり、一部学生だけの特権であったアウトドアが、各家族での、ごく普通のレジャーになり、手も足も出なかったコールマン等の高級なグッツが、アジア地区で製作するようになってから大幅にディスカウントになり、ちょっと拍子抜けしています。
火器は、灯油全盛の時代からホワイトガソリンの時代に、さらに今はカセットガスの時代へと大きく変動しております。そして、自家用車の普及によりオートキャンプへと更なる移り変わりを見せてきました。
私は学生時代の仲間とのキャンプでの思い出が忘れられなく、独身時は同じチョンガーの仲間と、長期休業時には剣道部の生徒とのキャンプをしながら過去の思い出に浸っておりました。八幡平大沼、八幡平ふけの湯、十和田湖大川岱、十和田湖休屋、十和田湖子の口、十和田湖滝ノ沢等、本当にアクティブに頑張ったものです。
いまアウトドアがブームですが、この言葉すらも、この世の中に存在していなかった、昭和30年代後半の学生時代、私は、秋田大学5つ学生寮から構成される「寮連山の会」に所属しておりました。
登山というのは山登りをするのは名前の通り当然ですが、毎回毎回、右の写真のように屋根のないところに野宿するのだということを身を持って教えられました。キャンプといえば兵式飯ごうを木の枝の直火で炊飯するが当時の常識でしたが、この集団は飯ごうの代わりにコッヘルを、薪の代わりに灯油で加熱するスエーデン製のラジュースを使用し、どこでも素早く炊事を行う姿にびっくりさせられたものです。4年間に登った山は、毎年恒例の新入生歓迎会を兼ねた太平山登山をはじめとして、鳥海山、出羽三山、森吉山、乳頭・駒ヶ岳・八幡平縦走等が思い出に残っております。左の写真は大学4年の時、鳥海山の雪渓を登っているスナップで、前から三番目の一番大きなリュックを背負っているのが私です。このリュックは今だ現役で、年に数回、タケノコ取り用に活用されております。
私とアウトドアのかかわり