樹木医制度発足までの経緯


(1)1919年(大正8年) 史跡名勝天然記念物保存法制定

(2)1950年昭和25年文化財保護法制定 
 法隆寺金堂の火災事件が契機となって成立、各都道府県毎に多くの天然記念物の指定が行われた。

(3)1970年代初頭、日本は高度経済成長期を迎え、社会・経済的事情が大きく変わり、当時の田中角栄首相の「日本列島改造論」を代表とする産業優先の考えが日本全体に横行、結果として、大規模な土地造成や埋め立て等によって、自然環境の破壊と劣化が全国規模で進行した。

(4)1970年代中期以降、公害や森林伐採による深刻な被害が現実のものとなるにつれて、自然環境の荒廃に対処するため保護制度の拡充や予算措置が徐々に図られ、また、日本国民全体も「自然への回帰」の考え方が進み、身近にある地域の文化財としての天然記念物が有する価値についても再確認された。

(5)1991年(平成3年)、森林・樹木の衰退減少を防ぐ意味で、林野庁の国庫補助事業「ふるさとの樹保全対策事業」の一環として樹木医制度が発足した。
目的 
 全国各地の貴重な巨樹・銘木・古木林などの樹勢を回復のための樹勢診断を実施すべく、高度な専門技術を有する樹木医を養成認定する。
 なお、発足当初、日本全国の全ての市町村に樹木医を配属させたいとの考えから、3000人を目標としていましたが、平成16年現在で1220人が認定されております。

(6)樹木医認定事業の母胎
 @平成 3年〜平成 7年度までの5年間 林野庁長官の認定事業
 A平成 8年〜平成12年度までの5年間   農林水産大臣の認定事業
 B平成13年度〜現在           (財)日本緑化センターの認定事業

 

樹医と樹木医の違い

1、樹医制度
 
この樹木医制度を知る前の私を始めとして、樹医の方が多くの人々に知られているような気がします。インターネットで調べた結果、樹医の認定に関しては、次の3つの組織があることがわかりました。

(1)大阪 山野忠彦氏が創業した日本樹木保護協会が認定する樹医制度
 造園・造林全般に関しての専門家を育成することを目的としており、その資格はグリーンセイバー3級、樹医2級、樹医1級に分かれており、レベルの高い認定制度を実施していると聞いています。




(2)出雲市の樹医制度   
 平成初期、出雲市が提案した制度で、今日の樹木医制度のベースになっています。




(3)全日本通教(日本カルチャー協会)の樹医認定制度
  
こちらは受講に関しては実務経験が不要で、知識・経験のない希望者全てが、所定の単位を通信教育で履修すれば取得出来る便利な制度で、早い人は2ヶ月でその資格を取得出来ると案内書に書いておりました。日本で一番市民権を得ている木のお医者さんは、ここの組織の履修者かもしれません。


















2、樹木医制度  
 
発足当初は林野庁長官認定事業でしたが、しばらくして農林水産大臣認定事業に格上げされました。その後「聖域なき民営化」という政府の方針に乗っ取り、平成13年度から「一般財団法人 日本緑化センター会長が認定する資格になりました。なお、資格を取得する方法は選抜試験と樹木医研修のみで、通信教育制度はありません。

@受験資格として7年の実務経験を含む書類審査があります。

A書類審査に合格すると受験票が送付され、仙台・東京・大阪・名古屋・福岡の5箇所で一次試験が行われ80〜120人程度に絞り込まれます。

 日本緑化センターの月刊誌「グリーン・エージ」各年の12月号によりますと、
 ・平成15年度の応募者数は593人、合格者は126人(約4.7倍)
 ・平成16年度の応募者数は572名、合格者は124名(約4.6倍)
 ・平成17年度の応募者数は507名、合格者は120名(約4.2倍)
 ・平成18年度の応募者数は518名、合格者は122名(約4.2倍)
  と発表されております。
 
出題内容は、植物分類学、動物分類学、植物生理学、植物病理学、気象学、造林学、森林土壌学、地質学、水質検査、農薬関係、淡水生物学、自然保護に関する諸法律、地球環境に関する世界の動き、・・・・等、多岐にわたっております。

B一次審査の合格者は茨城県の筑波研修センターに招集されます。 そこで、茨城県つくば市松の里1番地にある「農林水産省 森林総合研究所」の研究員等、日本を代表する専門家の講師から2週間に渡って研修を受けます。 そして、厳しい二次審査と面接で再度「ふるい」にかけられ、その合格者にあこがれの認定書が交付されます。
※資格を得た後、各県の樹木医会に登録すれば、林野庁が毎年のように予算化している天然記念物等の樹勢診断調査等の仕事にあたることが出来ます。

 

メニューへ