◆真相究明合点プロジェクトの進捗状況・見通し06

◆真相究明合点プロジェクトの進捗状況・見通し06
【6】鹿角の地勢のこと(黒又山)
調査結果;①黒又山は有史以前の縄文期から、十和田湖噴火鎮静祈願の象徴であった。
従って「大湯環状列石」の組石は、人畜などの「生贄」の記念碑(土坑の蓋としての置石)だと推測出来ます。
②生贄だとしても人間のことだけではありません。
③例えば生贄としては、ペット・備荒食品・装飾品などが考えられます。
④これらの生贄は、土坑の中に収納し、組石としての石英閃緑ヒン岩を蓋として置いたものと推察出来ます。
⑤と言うことで、組石は「墓穴」の置物だと言うことについては異論があります。
⑥何故なら、大湯環状列石が営まれていた期間は百数十年だとの説が有力だからです。
⑦そうであるならば、例えば5人家族で平均寿命を25年前後と仮定した場合、それなりの墓地空間が必要になります。(この例では累計で5人家族×6世代=30遺体分の墓地空間)
⑧遺体には病原菌が繁殖していたり、悪臭を放ったりなど忌避されるべき存在のために、住居地を避けて埋葬するでしょう。
⑨従って、大湯環状列石の住民の墓地は、万座岩山の下手の崖辺りに存在していたものと推察することが出来ます(万座岩山のことについては別途調査予定)。
⇒◇参照 : PDF鹿角の通説異説〔黒又山〕
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