SOL Y SOMBRA (マヨルカ) <Mallorca>2へ
イビサから飛行機でマヨルカに渡って4日目、今日はバスの10回券520ptsを購入して、取りあえず1番のバスの終点まで、それが何処か分からないけど、行ってみようと思い乗り込んだ。スペイン広場から街を南下して、カテドラルの横を通って港に出たバスは、そのまま海岸通りを西南の方向へ走って行った。途中観光客らしき人達が乗り込んできて、フランス語で運転手に聞いている。何となく雰囲気で、彼等はパルマ市街へ行きたいのだと分かった。運転手もそう察したらしく、道路の反対側のバス停で待ってくれと、両手を振り回してスペイン語で説明している。彼等も分かったらしく、バスから降りて行く。次に乗ってきたカップルは今度は英語で何か聞いている。彼等は何処かというパルマとは違う所へ行きたいらしい。運転手は再び両手を振り回し、丘の向こうへ行ってくれとスペイン語で話す。彼等は分からない。僕もスペイン語は理解しなかったけれど、彼の振り回す手の感じでアァそうかと思っただけなのだが、彼等はなおも丘の方を指差しながら、こっちかなどと聞いている。彼等が不安な面持ちでバスから降りていってから、運転手はバスを走らせながら、斜め後ろに座っている土地の人らしきオジサンと話している。「まったく彼等ときたひにゃ自分の国の言葉で全て通そうとしやがるんだ」と言ってるのだと思っただけなのだが「このパルマにゃドイツ,イギリス,フランス,ハポンいろんな国の連中が来やがるが皆そうだ」チョッチョット待ってよそのハポンて何なの、私しゃその日本から来てるハポネ−スなんやけどねぇ。と運転手のすぐ後ろに座っている僕は、その発言は腑に落ちないなぁなんて一人ブツブツすねてたのだけど、そう言えば切符売り場ではスペイン語で回数券くれと話したけれど、このバスではそのチケットを自動改札機にガチャンと押し込んだだけで、運転手とは何も話してなかったのを思い出した。今までバスに乗る時というのは行き先が決まっていたので、まずドライバ−に何処そこという所まで行くか?と聞いて、行くと言えばいくらかと聞いて、お金を払って切符をもらいグラシアス、とここまで曲がりなりにもスペイン語を話しているのである。しかし今回だけは、行き先は終点までであり、チケットも購入済みであるので、無言で乗車ということになってしまったのだった。ウ−ムしかし日本人がそんなに日本語で通そうとしてるのだろうか?個人で旅をしてる人は、僕と同じようにカタコトでもスペイン語を話そうとしてるのではないか、と僕は思うのだが。団体で来てる人達は、日本人ガイドに付いて、バスをチャ−タ−して、スペイン語の必要な時は全てガイドにお任せになってるだろうから、そういう人達のことを言ってるのかも知れない。案外日本人は皆そうやって団体でやって来て去っていく人種だと思われているのかも知れない。大体一人でウロウロ歩いていると、何処から来たチナ(中国)か?とまず聞かれるから、あるいは僕を日本から来た人間だと思ってない人も多いのではないだろうか。そんなことを考えている内に、バスは港の外側の堤防へ入っていき、イヨイヨ終点となったのだった。これはなかなかよろしい所に着いたものだと思い、その堤防の突辺先まで歩いて行ったのだが、風が非常に強く、カメラを構えても体が揺れて、まともに写真もビデオも撮れないのだ。雲の動きも速く、太陽は度々姿をくらまし、その内街の向こう側の山から黒い雲が現われて、街が白く霞んでしまった。アリャリャこりゃ雨だぞいと思い、カメラをしまって逃げる態勢を取ったのだが、なにせ長い堤防で、屋根のある所まで行かぬ内に雨にやられてしまった。しかし海の方は物凄くイイ天気で、太陽の光がサンサンと降り注いでいるのだ。何と空を見上げてみると、この堤防を境にして内側が黒い雲に覆われ、外が真っ青な空なのだ。そして当然のごとく太陽はその黒い雲の中であり、雨の範囲もこの堤防までのようだった。しかしちょうど境目であるのが幸いして、雨はそれほど酷くなく、やがて雲も切れてきて街の方にも陽が射すようになった。しかし街の向こうの山には次の雨雲の団体がどうも控えている様だし、今度降ったらここの境目のアドバンテ−ジもどの位あるのか定かではないので、帰ろうと思いバス停へ急いだ。堤防の内側にはアメリカの割と小型の軍艦が停泊していて、船員達が上陸している様子がバス停より少し先に見えていた。始発からバスに乗ったのは僕一人だったのだが、そのNAVYの船の横を通過しようとした時、その船の船員達が手を振ってバスを止めたのだった。乗り込んで来た彼等の先頭の人は、英語でHow much?と聞いた。運転手も慣れているのだろう、英語で80と答えている。次の人が再びHow much?と聞く。運転手はエイティと答えて切符を切る。さらに次の人がHow much?と聞く。運転手はエイティと答え、船員が手の平に広げたコインから料金分を撮む。次の人がHow much?と聞く。運チャンはエイティと言う声に少し力が入り始め。船員は1ドルアメリカ紙幣を出し、運チャンはそれを受け取り。さらに次の人がHow much?と何と20人近くの船員達が、それぞれHow much?と聞いて、運チャンはその度にエイティと叫んで、ほとんどの人が100ptsコインを出すのでお釣りも受け皿に用意してたコインが切れ、引き出しから紙に包んだコインを引っ張り出し、最後に乗った船員に切符を渡した頃には、彼はどっと疲れた様子だった。やっとバスは走りだしと思った矢先20mも行かぬうちに再び船員達の10人位のグル−プが手を振ってバスを止め、運チャンの諦めの表情と共にHow much?エイティが再び繰り返されたのだった。運転手には同情するけれど、訓練されている船員達の誰一人として皆に80だそうだから用意しとけと、リ−ダ−シップを執れる人間あるいは伝達できる人間が居ないのには驚かされた。船員達でほぼ満員となってバスは走り、途中土地のオバチャンが乗ってきて運転手の斜め後ろに座ると、運転手はそのオバチャン相手に大声で話し始め、何を話してるのか分からないけれど、彼は段々興奮してきて両手をハンドルから離して振り回しながら話しだしたので、恐らくHow much?エイティの話しをしてるのだろうな思うと、笑ってはいけないけれど少し可笑しかったし、時々後ろを振り向きながら話すので、チョット心配しながら2人のやりとりを聞いていたのだった。しかし何十回もHow much?エイティを繰り返してウンザリもしただろうけど、これがもし僕の様にカタコトのスペイン語しか話せない人間が、取りあえずクワント エス(How much)?と聞けて、例えば料金が125pts(シエン ベインテ シンコ)だと言われたとして、少しは慣れてきた僕ではあるけれども、普通のスペインの人が話すような早口で言われたら、やっぱりハア?ということになるだろうと思うし、運転手にしてみりゃ、スペイン語で聞いてきた人にスペイン語で答えて、ハア?は無いだろお前という気分になるだろうなと思う。その様なカタコト人間がそれこそ何人も乗り込んできて、クワント エス?ハア?が続いたとしたら、これはもうHow much?エイティとは問題にならない程頭に来ちゃって、運転手は足でハンドル握ってしまうのではなかろうか。そんな風に考えると、あの船員達を見て最初は、カタコトでもスペイン語を話そうとしている僕って、何とけなげな日本人なのだろうと思ってたのだけど、後になって、彼等のように、俺達ゃスペイン語全然分からんけんね運チャン頼むわといった感じで、開き直った方がいいのではないかとも思えてきたのだった。そりゃまあ僕も少しはスペイン語が話せるようになりたいという気があるから、取りあえずカタコトでも話そうとするし、向こうも何だコイツは変なスペイン語使いやがってと思いながらも、ちゃんと聞いてくれる優しい人が多いので本当に助かるのだが、ツ−リストインフォメイションなどに行っても、そこでは英語も通じるし、僕も英語で聞いた方がもっと詳しいことも聞けるのになと思いつつも、カタコトのスペイン語に固執してしまっている自分に気付くと、はたしてこれでいいのかしらと疑問に思わないでもない。まだその時に使いたかった単語を宿に戻ってでも調べて、次回にはチャンと使えるようになっていけば、スペイン語もどんどん自分のものになっていくのだろうが、やはり僕の英語と同じで、ただ単語を並べて言うだけで、文法的にどうなのかということをほとんど無視してるので、はたしてこれでいいのかしらと何時までも上達していかないのだった。
《《《 MAPへ HOME 》》》
<Mallorca>2 <Mallorca3>