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ホンダの125cc単気筒。他にスク−タ−も置いてあったのだが、どんな坂が待ち受けているのか分からないので、クラッチ付きの方を選んだ。キックで始動させるエンジンは、6回目のキックで咳き込むような爆発音と共に回り始めた。回転が安定するまで暫く待った僕は、クラッチを一速に蹴り込み、右側通行の道路に向けて、アクセルを吹かして進み出た。2速3速とシフトアップしてスピ−ドが出てくると、あの懐かしのバイクの風に出会えた。本当に久し振りだった。僕のカワサキが盗難にあって以来だから、4年振りということになる。クラッチにはそんなに変な癖は付いていない様で素直にはまり、アクセルも快調だった。しかし何処で鳴っているのか、ガタゴトガサゴトと異音が常にしており、ドライブチェ−ンも少し弛み気味で、アクセルを戻すとチャラチャラと、ガ−ドに当たって音がした。ソジェ−ルの街に入る前に道を折れ、山の方へ入って行く。あの山々を右側に見ながら、トンネルはどの辺を抜けて行くのだろうと考えていた。あの谷にはどうも道が見えないようだし、もうあの谷よりはかなり上に来てしまっていて、やがて左側の山々の陰になって見えなくなってしまった。交通量の少ない割と緩やかなカ−ブの続く道路は、どんどん左側の山の斜面へと近付いて行った。もうほとんどその山の斜面を走る頃には、その山々のどの辺の位置なのか知る術は無かった。ただひたすら切り立った斜面が近付いて来るだけであり、いきなり300mでトンネルという表示が出て、あっと言う間に暗闇の中に入ってしまった。そしてそれも本当にあの山を貫通しているトンネルなのかと疑ってしまう程、あっけなく出口となってしまって、しかしそれだけ両斜面ともに切り立っているという何よりの証拠なのかも知れないと、改めて納得する間も無く、トンネルから抜けて現われた風景は、岩山の間に見え隠れする湖というか沼であり、思わずヤッタ−と一人呟いてしまったのだけど、これで天気が良かったら、きっとこの湖面はもっとコバルトブル−に輝いていただろうにな、帰りに晴れてくれればいいがと思いつつ、そのまま走り続けた。地図で考えたル−トは、フォルメント−ル岬まで往復180km位であり、同じ道を引き返す予定なのだが、時間的に余裕があったら、ポレンサの街から山を迂回し、インカから再び山に向かうル−トも考えていたのだ。しかし山道だし、片道どれ位の時間が掛かるか知るためにも、取りあえずは止まらず走り通して岬まで行こうと思っていたのである。二つ目のトンネルを抜けてからは結構急なカ−ブが続き、時間が掛かりそうだった。道はどんどんあの谷の向こうに見えていた三角の山から離れていって、その高さも低くなっていった。Tシャツとポロシャツにウィンドブレ−カ−という姿は、曇りの山道をバイクで走るには少し寒く、手は手袋をはめていたからさほどでもなかったが、久し振りにアクセルを握ったので少しこわばり始め、Gパンの足を時折さすりながら、ほとんどのカ−ブがブラインドになっている細い道を走り続けた。レンタ屋さんで貸してくれたヘルメットは小さく、イヤ僕の頭の方が大きいのかも知れない、走っていると頭の後ろの方にずれてきて、ストラップが首を締めるという具合になって、時々ヘルメットの位置を調節しなければならなかったのだが、カ−ブの連続なので、ヘルメットをずらしてシフトダウン、カ−ブを抜けてシフトアップ、足をさすってヘルメット調節、シフトダウンしてカ−ブを抜けてと、ほとんどドタバタシネマみたいな状態だった。そうこうしてる内に山を降り切ったらしく長い直線の道となり、スピ−ドを上げたのだが、案の定ヘルメットがずれて首を締め、80km位の速度が限度だった。そしてバスで来たポレンサの港に着き、そのまま半島へ続く道を走り続けた。しかしビデオを担いだ肩が少々痛くなってきており、体も大分冷えてしまっているようだった。道を登り切った所に展望台があったので、一休みしようと思いバイクを止めた。足を回してシ−トから降りると、股が少し痛み、冷えた膝のぎこちない動きとによって、歩き方が生まれたての馬のようにヨロヨロし、展望台へ上る階段では膝がガクガクして、スム−スに進んでいくことが出来なかった。やっとのことで辿り着いた展望台は、海面からほぼ垂直に100m位切り立った崖の上に迫り出して作られたものであり、少し荒れた海の、崖にぶつかって砕ける波の迫力と相俟って、膝の震えが増すかと思えたが、体も少し暖まり始め、震えは治まりつつあった。時刻はすでに1時であり、70km位の距離に2時間掛かっていることを考えると、この先20kmの岬まで少し急ぐ必要がありそうだった。未だに空は曇ったままであり、風も少し冷たく、20分位の休憩であったにも拘わらずバイクのエンジンはもう冷えており、一発のキックで掛かったものの回転が安定せず、バイクの向きを変えている間に止まってしまい、もう一度キックを仕直して走り出さねばならなかった。半島の外海側の斜面を道路はヘアピンカ−ブで下って行き、森の中を内海側へ向かい、やがてフォルメント−ルの街への入り口との別れ道となり、再び外海側へと延びていった。曇っていたのが考え方を変えれば幸いしたかも知れない。これがもし晴れていたとするなら、至る所でバイクを止め、肩に掛けたカメラを構え、背中に背負ったビデオをデイパックから取り出して、これまた構えということをやっていたら、目的地に陽のある内に辿り着くことさえ難しくなりそうだった。不幸にしてと言うべきか幸いにしてと言うべきか、僕はバイクを走り続けさせることが出来、突辺先の灯台に着くことが出来た。バイクを降りると尿意を催し、ヒョットしてトイレが無かったら何処かで足せるほどの岩影も見当たらず、車や自転車で訪れている人達も結構多く、これは少しヤバイ雰囲気だなと思いつつ灯台の周りを回ってみると、それらしき建物があってホッとして用を足すことが出来た。しかし、し終わってジッパ−を上げていると女の人が入って来て、僕が居るのも構わず大の方へ入っていったのだった。恐らく女性の方が満員であり、彼女も切羽詰まっていたのだろうと思う。プレハブの売店でスナックバ−を買って食べ、ゆっくりすることもせず来た道を引き返した。時間的には少し余裕があったが、山を迂回出来る程でもなさそうだったので、ポレンサの街にある長い階段を登っていく教会へ行ってみようと思った。その教会へ続く階段の絵ハガキを友達に送った関係上、自分の目で見ておく必要があったのだ。バスでやって来たのはポレンサの港であり、街はさらに5km内陸に入った所にあるのだ。おかしなもので港まで街がつながっていれば同じ名前でも納得がいくが、間は道だけで家など無いのだ。ポレンサもソジェ−ルもそうなのだ。ただそれぞれプエルト・デ・ポレンサとプエルト・デ・ソジェ−ルとプエルトが付く名前にはなるのだが、港にも家が並んでしっかり街なのだから少々紛らわしいのだ。そんな事を考えている内に街に着き、広場の隅にバイクを止め石畳の道を登っていく。その山の斜面の何処かにあの階段があるはずだと思って、キョロキョロしながら登っていったのだが見当たらず、山の上には教会があると思える雰囲気だけはあって(実際には見えていないのだけど)曲がりくねった登り道から外れて横に続く道を行ってみた。すると50mも行かぬ内にその階段に出た。登る斜面を間違えていたのだった。恐らく200m以上あるだろう、真っ直と山の天辺の教会迄続く石の階段の、ほぼ中間の辺りに出た僕は、教会に向けて登って行った。上半分は糸杉の並木となっており、この街で何か祭りがあったりすると、この階段はきっとその祭りの雰囲気を盛り上げる重要な役割を果たす場所となるのだろうなと思えた。しかし天辺にある教会は、階段に力を入れ過ぎた為に、教会まで手が回らなかったのではないかと思える程簡素なものであり、長い階段を登り切って見上げる教会に感嘆の声を上げるなどという事態にはならず、そのまま回れ右をして階段を見下ろし、感嘆の声を上げるということになってしまうのは少し残念だった。あまりゆっくりも出来ないので、そのまま階段を下まで一気に下った。バイクを置いてある広場まで戻って、Barに入りカフェコンレチェを飲んだ。時間は3:30だった。帰りの電車に間に合わせる為には、6時前にソジェ−ルに着く必要があるのだが、4時少し前に出れば大丈夫だろうと思えた。教会に登り始めた頃から薄日も射すようになっており、あの山の上の湖に少し期待が持てそうだった。帰り道というものは、一度通ってる道であるから順調に距離を延ばすことが出来るものなのだ。ソジェ−ルとポレンサのほぼ中間の辺りに来た時、ジュクという名の所に教会があることを、標示板に出てるのを見て思い出し、チョット見ていこうと思い、道を逸れてその教会に向かった。街があるわけでなく教会と割と大きな建物があるだけなので、あるいは修道院か何かだったのかも知れない。今はお土産屋は素より、レストランやBarもその建物の中にある観光名所になってるらしかった。教会の中を見てから再び走り出した。右側通行であるので、往路は山側を走ることが多かったが、復路は谷側が続くわけであり、これはこれでまた新しい感覚を楽しめるものなのだ。途中、岩肌の山と谷がパノラマで見えるポイントがあり、そこでバイクを止め暫く眺めた後、再び走り出そうとキックスタ−タ−を踏み込んでも掛からず、10回位試して掛からないので少し休んだ。あのガサゴソという音を考えてみると、エンジンオイルを交換してないのだろうと思えた。再度キックを蹴り込んでやっとエンジンは掛かり、走りだすことが出来た。しかし時間はすでに5時を1/4回っており、急がねばならなかった。期待してた湖は然程輝きもせず、僕の後ろ髪を引くほどではなかったのだが、カ−ブを抜けて上に見えた山が、あのマヨルカで一番高いプイグ・マヨ−ルの雄々しくそびえる姿であり、その天辺に軍のレ−ダ−らしきものが見えており、さらにその尖った山の向こうから川の流れのように速い動きで、ちぎれた雲がそのレ−ダ−をかすめてこちら側に飛んで来ているのだった。あぁあの天辺に登りたいものだと思った。しかし軍の施設にそうたやすく入れてくれるはずが無く、一番イイ場所を押さえてしまっている軍が少し憎らしかった。そんなことを考えながら止まることもせずやがてトンネルとなり、山の反対側に出た。結局山の向こう側であの三角の山はおろか、あの谷を形成してる崖は全く見る事が出来なかったのだった。少し傾いた陽の光を正面に浴びながら、緩やかなカ−ブの道を下り、それでもあのプイグ・マヨ−ルを間近で見たのは、何よりの収穫であったのだと考えていた。レンタ屋さんに着いたのは5時50分であり、もうすぐ最終のパルマ行きに接続する電車の出る時間だった。ガソリンの清算をしてもらって店を出ると、走り出してる電車が港の向こうに見えた。確かこの辺でも止まってくれるはずだと思い、プラットホ−ムらしき少しコンクリ−トの幅の広くなった所で電車を待った。念の為に手を上げて電車の運転手に合図を送り、止まってくれた電車に乗り込んだ。電車と言っても日本で言うところのチンチン電車であり、ここのはさらに観光用に壁を取り払って、むき出しのベンチの並んだ客車なのである。ほぼ座席は埋まっており、僕は連結部分の手すりに掴まって立った。しかし僕の格好は依然としてウィンドブレ−カ−に首にはバンダナを巻いた姿であり、電車に乗ってる人達は半袖に短パン姿なのだから、彼等の目には少し異様に見えたかも知れない。しかしまだ僕の体は、その格好では暑いと思える程にはなっておらず、そのままで居るしかなかった。そしてソジェ−ルの街の駅で、そのチンチン電車の車両を長くして壁を付け、ベンチも木ではなくちゃんとクッションの入った電車に乗り換え、街を後にした。ガタゴトと大きく揺れながらゆっくり山を登って行く電車の、少し曇った窓ガラス越しに見える、あの山々とソジェ−ルの街を眺めながら、あの山々の向こう側を見たのだな、きっとトンネルはあの辺だな、プイグ・マヨ−ルの軍のレ−ダ−はここからは見えないのだな、依然として、あの谷は未知のままなのか、と様々の感慨を新たにし、アディオ−ス(さよなら) ソジェ−ル。アディオ−ス プイグ・マヨ−ル。アディオ−ス マヨルカと小さく呟いた。 |
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