普通の剣道家は六段をとると早速次の日から七段に向かって猛練習にはいるのですが、私の場合あまりに六段挑戦にかける気持ちが強すぎたためか重度の「燃え尽き症候群」に陥ってしまいました。
そして、修業期間があけ七段の受験資格を得た43歳の秋、またまた性懲りもなく受験を開始しました。しかし、六段挑戦時あれだけ自分の全てを捨てて練習に励んでもなかなか合格できなかったのに、何もしないで合格するわけがなく、不合格の山をたくさん築き続けることになりました。
やがて、まだまだ無理の利く花の40代が過ぎ去り、しだいに無理の利かない体へと変化を始めた50代中盤にさしかかった頃、「何回受けても無理なようだから、区切りの良いところで受験をうち切ろう」という心の中の悪魔のささやきが次第に大きくなるのを感じ始めていました。
そんな悶々とした中で稽古を積んでいたある日突然!、小学生相手ながら、竹刀が止まって見えたのです。(剣道用語では「起こり」が見えたといいます。)これを「奇跡」とか「悟り」とか言うのでしょうね。その神からのありがたい贈り物を生かすべく次の稽古を行いました。
1、子供達と稽古をする時、相手の一振り一振りの起こりに注目し、相手が繰り出した「起こり」が100%見えるよう集中力の反復練習をしました。
2、目で捉えた「起こり」を確実に自分の有効打突にするためには、それに対応する剣の早さと正確さが必要になります。
そのため、一日1000本を超す素振りを行いました。ただ、一気に1000本を振ってしまえば筋肉や健に傷害が生じ、竹刀を握れなくなる可能性があるので、朝100本・昼100本・寝る前100本と、一日300本から出発。その数を少しずつ増やし一ヶ月ほどかけて1000本を振る体を作り、そして継続していきました。 その成果は確実に剣道に現れ、先輩たちと稽古をしても自分なりに納得のいく剣道ができるようになりました。
そして、満を持したように出かけていった平成10年11月25日、日本武道館における審査会に於いて、
・一人目 相手がメンにきた起こりをつかんでの「出ゴテ」「出頭メン」、同様にコテにきた起こりをつかんでの「コテメン」がきっちり決まりました。
・二人目 一人目同様の「出ゴテ」「出頭メン」を決めることが出来ました。
審査終了後、今までの審査会と大きく異なり、「自分の出した技の全てが有効打突になった」ことから、もし今回失敗しても次回からもこの剣道で受験しようと心に決め、さわやかな気持ちで審査結果を待ちました。
そして、自分の受験番号「525C」を何回も念仏みたいに繰り返しながら、担当学生が張り出した模造紙を見たら、数少ない合格者の中に「525C」がしっかりと書かれてあったのです。ほとんどあきらめていた中での突然の吉報であったので、どっとうれし涙があふれ、周りを気にすることなく目頭を押さえてしまいました。
改めて今、じっくり考えてみると、この大きな快挙は、
1、小学校の時に辛抱強く基本を擦り込んでくれた私の父親を含めた鹿角剣道連盟の先生たち
2、繰り返し繰り返し基本の大切さをご指導いただいた秋田大学の範士八段 本田重遠先生
3、毎日のように私の稽古相手になってくれた勤務校の剣道部員、および、私の道場(
脩道館)の子供たち
4、稽古をいただいた沢山の先生や剣道連盟の方々
5、最後に、一番大切な魂入れをしていただいた範士八段 内山真先生
のおかげと深く感謝しております。なお、今後とも体が続く限り、剣道を愛する子どもたちに、大きな夢を与え続けたいものと考えています。
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