2、むがしっこ(民話)の伝承の歴史
(1)月刊誌「旅と伝説」(昭和6年4月)柳田国夫氏の編集誌
鹿角の昔話が全国に紹介されたのは、「旅と伝説」が最初です。内田武志氏が、鹿角市八幡平字谷内(当時は鹿角郡八幡平村)の安部ていさんという、当時49歳の方から聞いた昔話を掲載したものです。
昔話は「猿と蟹」他12話が掲載されています。
内田武志氏は、菅江真澄の研究家です。菅江真澄は江戸時代、東北地方を旅してその当時の社会の様子や自然や産業や風習などつぶさに観察して書いた紀行文を残しています。内田氏は、真澄の紀行文を現代文に訳した方です。それを「菅江真澄遊覧記」(全巻)といいます。
秋田市金足に秋田博物館がありますが、その博物館に菅江真澄センターが併設してあります。内田氏は、菅江真澄の研究をたたえられ、その業績が展示されています。
内田氏が掲載した「猿と蟹」の冒頭の部分は、
「昔あったどしア。猿は蟹に、『かにどな、かにどな、穂拾ひして餅搗かねアな。』と言った。蟹は『おー。』て承知して、二人で穂拾ひした。」のように会話の部分は方言で地の文は共通語で記述しています。
(2)幻のレコード
コロンビアレコードからレコードを出したと聞いています。このレコードを探していますが、見つかりません。
(3)「村のむかしっこ 第1集」(昭和46年)
鹿角郡八幡平公民館発刊(現鹿角市八幡平市民センター)
戸窓をふさがない話他14話掲載「昔、ある村に非常にけちな独り暮らしの男がいました。よく働き、実に辛抱強い男でしたから、方々から嫁を世話する話をもちかけられて、嫁をもらいましたが・・・・。」
このような記述のしかたをしています。昭和46年ころにもう方言で記述しても読めないだろうと言うことでしょうか、あるいは書き表すことができないからかのどちらかでしょう。私は読みやすくするために誰でも民話に親しむことができるように願って共通語表現したものと考えます。編集後記に、「民話が村において古くから言い伝えられてあり、それを私たちが目、耳を通じて心通う暖かさを得られたら、それでよいと思います。」と述べています。
要するに、民話のもつ心通う暖かさを伝えたくて、それだけを考えて編集したのでしょう。
(4)「鹿角のむがしっこ(1)」(昭和48年)高橋節夫自費出版
猿の嫁になった娘他9話
「猿の嫁になった娘」の冒頭の部分は、「むかしばなしっこひとつ。小豆沢に娘三人もつた爺様あつたけど。その年日照り続きで田の水足りなくて困ったけど。そこで爺様困ってしまって山さえってみだど。」
この昔話は、昭和45年に現鹿角市八幡平長嶺の阿部チヤさん(62歳)から聞いた話をそのまま表記したものです。
(5)花輪町誌編纂資料第2号(昭和50年)
現鹿角市花輪花輪町誌編纂資料調査委員会編
鹿角の民話(1)ぼさまといたこ他12話
「ぼさまといたこ」の冒頭の部分は、「むかしあるどこに、昔話の大好きな人がえで、えっちもみんなさ「おれさ、あぎるくれ ゃむがしっこ、おしぇてける人えねぇべが。あぎるくりゃおしぇてけだ人さ・・・・・。」
方言で表記しています。伝えられている方言をそのまま表記して、資料として伝承しようとしたものです。
(6)谷内・長嶺の古老 ラジオFM東京から放送(昭和50年)
ナレーター 俳優の山口 崇氏
語り手 阿部 チヤ 二枚のお札阿部 ヒサ 米福粟福晴沢 直美 化け猫
(7)「鹿角のむがしっこ(2)」(昭和50年)高橋 節夫自費出版
かわうそにだまされた狐他9話
(8)「鹿角のむがしっこ(3)」(昭和55年)高橋 節夫自費出版
上方参り他9話
(9)八幡平の民俗鹿角市史民俗調査報告書第1集(昭和63年刊)
第11章 口承文芸第一節昔話 ぼさまといたこ他29話
語り手 阿部 アヤ(長嶺) 高見 嘉助(曙) 晴沢 直美(谷内) 安部 正治(谷内) 阿部 サワ(長嶺) 阿部 キツ(長嶺)
(10)花輪北地区の民俗鹿角市史民俗調査報告書第2集(平成元年)
第11章 口承文芸第一節民話 さるとかにの寄り合い餅9話
語り手 村木 ハル(高屋) 福島 キワ(用野目) 関 トキ(小平) 村木 マツ(高屋)児玉 源吾(館)
(11)陸中の国 鹿角のむがしっこ
鹿角市中央公民館 鹿角市「郷土学習教材」編集委員会(平成3年)
昔話 72話(鹿角の昔話の集大成)
(12)陸中の国鹿角の伝説鹿角市中央公民館 鹿角市「郷土学習教材」編集委員会(平成4年)
(13)昔話コ秘帖 高瀬 博(平成4年)自費出版
語り手成田喜代治20話
(14)鹿角民話・伝説の会「どっとしはらぇ」平成5年創立
鹿角市内在住の古老のむがしっこのビデオ収録活動開始
綱木 某(桃枝)晴沢 直美(谷内)斉藤 サキ(小豆沢)成田 喜代治(小坂町七滝)