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鹿角のむがしっこを語ることについて--考察--高橋節夫
4、私の語り方について

1、その当時の語り手の生活感情を表現する

 むがしっこは爺様婆様が孫に語って聞かせ、孫が爺様や婆様になって孫に語って聞かせて語り継がれて来ました。どうして話し言葉だけでしょうか。どうして書き言葉での記録がないのでしょうか。当時の方々は、書き言葉を持つことが出来なかったのではないでしょうか。文字を知らなかったのではないのです。文字を持つ事が出来ない暮らしを、させられていたのではないでしょうか。だとすればそういった暮らしの背景がにじむ出る語りをしなければならないと思います。

2、やさしさのある語りを

爺様や婆様が語ってくれた鹿角のむがしっこを聞いて思うことは、どのむがしっこを聞いても「やさしさ」にあふれていると言うことです。孫への思いといったらよいでしょうか。人への思いと言ったらよいでしょうか。「やさしさ」のない語りはむがしっこではないといってもいいと思うくらいやさしい語りです。やさしさのあふれる語りを、私は情感豊かな語りと言っています。そしてそれを表現したいと思って語ります。

3、おだやかな空間、ゆっくりと流れる時間

語りの場は、どうあれば良いでしょうか。むがしっこが語られた場は、ねどこやこたつを囲んでとかあるいは囲炉裏の周りなどで語られてきました。爺様のひざにだっこされて「むがしむがし」と語られてきました。ですから「やさしく」て「おだやか」で「ゆっくり」していていました。「やさしくておだやかな」空間で「ゆっくりと流れる」時間、それがむがしっこの場です。しかし今そのような場をつくることが難しくなってきました。多人数の前で語ることが多くなってきたからです。また私が語リ始めたころは秋田県でも4、5人しかいなく珍しがられたものでした。語りの場も多くありませんでした。今は100人ほどの人数にもなっています。多くの方々に語りの場をなどの理由からでしょうか、ある地域では「むがしっこ駅伝」とか言ってたすきをかけ、走っていって渡し、渡された人が語り始めるなどの方法がとられていますが「癒しの場」とも言えるむがしっこの語りの場を考えると違和感を感じます。

4、語り始めと語り納め

私がむがしっこを語るとき留意していることのひとつに、語りはじめに言う「むがしむがし」と語り納めにいう「どっとはらぇ」という言葉の語り方です。極端な言い方ですが、それをどのように語るかによって、語り方のよしあしがわかるように思います。私は語り始めの「むがしむがし」は、聞き手の方々にこれからの昔話の世界にいざなう言葉と考えています。ですからそのような気持ちを込めて語ります。また語り納めの「どっとはらぇ」は、今まで昔話の世界に漂っていた心を現実の世界に戻っていただく誘いの言葉と思って語るようにしています。

5、地域の風、土、山、川を
どのように語ったらよいのか、まだ私はつかめていません。またそれを実現できる語りの力も持っていません。しかし総じていえば、その地域の風の音、川の流れ、山の息遣い、土のにおいが感じられる、それらがふつふつと湧き上がってくるような感じを持ってもらえれるような語りができたらよいなと思っています。

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鹿角むがしっこ語り考
1.鹿角とは

2.「どっとはらぇ」への道

3.鹿角のむがしっことは

4.私の語り方について